神は存在するか
とかいう面白い質問があったので答えてみた。
神のことを書くのは恐れ多い気持ちも多少はあるが。
以下私の回答。
神はいる。は神は存在する。という意味と同じとします。
まず、「神」という畏敬の念を感じさせてしまうような存在で物事考えると主観がどうしても入ってしまうので、他のものを考えてみることにします。
神に限らず我々の解釈では、例え実際に存在していたとしても、我々が認識していなければ、存在せず、例え実際に存在していなかったとしても、我々が認識していれば存在する。としています。
例を挙げます。
・中世では「魔女狩り」がありました。その当時は実際に魔女は存在すると本気で信じられていました。ところが実際は存在しています。
・昔は真空の中にはエーテルというものが存在していると本気で信じられており、エーテルが存在すること前提で立式している時代がありました[これがなかなか結果が悪くなかった]。実際は存在しませんが。
・近世では光は粒子というものとして存在する。と本気で信じられていました。ところが粒子として存在すると考えると干渉現象を説明できないので、波動として存在すると考えられました。ところが、これだとコンプトン散乱が説明できない。結局現在は存在するけれども、粒子の性質も波動の性質ももったものとして存在していると認識されています。
・前の回答者さんが宇宙の話をされていましたが、神の一撃は本当の話です。「最初の一撃は神様です。あとのことは我々科学者が考えますから。」としたそうです。[そうしないと宗教上まずかった。]
逆の場合
・新しい元素が発見されるまでは、[実際には存在しているのにもかかわらず]その新しい元素は存在していないことになっています。例えば、メンデレーエフの周期表の数は非常に少ないです。ただし、キュリー夫人のような新しく作る元素とかはなしですけど。
・星もそうです。ずっと昔から存在しているのに、発見されるまでは存在していないことになっています。
・マゼランの地球一周もそうです。地球は円形としてもとも存在しているのに、平面として存在していることになっていました。
つまり、存在すると説明するためには、[実際に存在している]必要はありません。多数の人(全員である必要はないことが重要。全員そう信じていると真空も、エーテルから先に進まなかったでしょう)が存在していると思い込むだけで充分なのです。
「神」は非常に多くの人に存在すると信じられています。特に三大宗教は。
以上より、多数の人に「神」は信じられているのですから、神は存在する。と、いうことができます。
*と屁理屈をこねてみましたが、実際どうなのでしょうね。
こういうのを論理的かどうか、Mizarで証明できるんだろうか。
定義部分に難ありかな。
あ、私自体は神の勉強なんて全くしていないので。真理はわかりませんよ。
そして興味もないです。いつかわかるでしょう。と。