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shadeとshadow

昨日に続いて、第二弾。
なべちゃんの英語の思い出。

ShadeとShadowの違いについて、教えてもらった。
Shadowは、影で、Shadeは陰。

あと、夢の夢の話。
これは、私もその当時考えていたので、ちょっとびっくりした。

哲学的な話になる。
夢とは、自分が夢を見ているときは、夢を認識できない。
夢から覚めたときに、さっきは夢だったと認識することができる。
ところが、夢から覚めた夢をみた経験がある人は多いと思う。

したがって、夢と現実との違いを明確に言える根拠はないのである。
つまり、今Weblogに、文章を記述している自分がいるが、
この世界は夢なのかもしれない。
今の認識で夢だと思っているほうこそ現実かも知れない。

とかいう話。
高校生のときは、そういうことを考えると本当に気が変になりそうだったので、
そこで思考を停止した。クラブとか忙しかったし。

今は、もうそこまでひとつのことに集中して考える能力が退化してしまっているので、
思考が続かない。悔しい。

昔は、考えていると、周りから声をかけられても、体を揺さぶられるまで
気がつかなかったのに・・。

年をとったものだ。21、2才のときが、一番極限まで思考をすることができたと思う。
今は、プログラミングをするときしか、この感覚をあじわうことがない。
プログラマなら、以下のような状態になった経験のある人が多いだろう。

森博嗣の小説の引用

 プログラムを書くという行為は、ときとして思考能力の限界をさまよう恍惚が味わえる。
集中力の持続は、まるで水中で息を止めているように苦しく、しかし甘い。
このまま帰ってこれなくなるのではないか、という領域に足を踏み入れる感覚。
人はここまで考えられるのか。これは空を飛ぶよりも素敵なことだと思ったりもする。
おそらく、数学や物理学などの理論研究においても同様の体感があるのだろう。
それは想像だ。将棋やチェスでもあるのだろう。 

 二十代は、遮二無二勉強をした。研究だけに時間を使ってきた。
目の前にある自分だけの問題に興奮し、自分だけの征服感が最高のものだと信じていた。
純粋な学問は果てがない。到達感のない虚しさこそが貴重なものだとも思った。 

一番学問にはまっていたので、自分の卒論を読んでみると、調子乗ったことを書きまくっている。

おわりに
思えば, 色々な実験をした. かなり迷走気味ではあるが.
実験を行ったときは光電子増倍管の意味もわからなかったし, [トリガって何ですか?] なんていうプリティ
な質問をM1 の河内さんに質問していたのが恥ずかしい限りである. 理論でも非常に苦しんだ. 英語の文
献を当たって4それでもわからなかったら, 即, 参考文献をみて調べてみたりするなんて初めてのことだっ
た. 大抵行きつく先はPhysical Review だったが. Bethe-Bloch の式も手計算するととんでもない時間がか
かり, 何ページもやりなおした. 今後村山に続く後輩たちにBethe-Bloch の計算シミュレータを贈ろう. オ
ンラインでは, 再インストールすれば消えてしまうので, この論文の付録に付けておいた. 少々打ち込む
のは面倒ではあると思うが, それに対する価値は十分にあるはずだ. もっと物質を多くしたければ簡単に
アップグレードできるシステムにしている. その分なぜC++ で書いたのかわからない位工夫のないコー
ドになってしまった. 十分なプログラム構築能力があるのであれば, 付録に書いたとおり, 改良は自由で
ある. ただし一度は手計算しましょう.
他にはLinux の存在が大きかった. Linux がなければこの研究はできなかったといっても過言ではない.
Windows では簡単にプログラムを書くことも大変だし, そのような目的で作られていないため不安定か
つ遅い. 統計データを解析するにしても, 数十万イベントをExcell で解析しようものならハングアップの
嵐であっただろし, Fitting なんてNumber Degree of Freedum χ2 もわからず, そのFitting の信頼性を確か
めることもできかっただろう. 今後後輩たちには, 是非Linux を学んでもらいたい. でもLinux は大変勉
強しなければいけません.
そんなこんなで, 卒論には書けないようなデータも多々だしながらも, 5 結果としてNitrogen Scintillation
を確認でき, Quenching 定数K を求めることができたのはうれしかった.
卒業研究程度では新しい発見などの格好いい研究はできないというのが一般的で, かつそれは真実のよ
うな気もするが, 大きな高エネルギー物理学という学問の中の隅っこでじわじわとその大きさを拡げる
ような感覚を味わえたのは貴重な体験だった6.
でも, 自然の強さも知った. ちょっとでもどこかで手抜きをするととんでもない結果を返して来る. それ
に, 一つ解決したら, またもう一つの疑問が現れ儚さも知った.
でも, なんで楽しいかというと, やっぱり自分の中の疑問が一つ, そしてまた一つと解決していく過程で
新たな発見があったことだ. これこそが儚いことかも知れないが, そこに大きな喜びを感じた.
今後, 素粒子実験物理に触れることは無いかもしれないし, 無駄なことかもしれない. しかし, 無駄なこと
をするのは, 人間くらいしかいないので, 最も人間らしい一年だったのかなぁとも, 今になると思ったり
する.
最後に, 研究にお世話になった方, ほとんど何から何までお世話になりまくった京都大学の森井さん, あ
りがとうございました. そして, 物質・物理専攻のみんな, お疲れさま.

あのころが懐かしい・・・。
しかし、このころは、Stern Volmer定数Kという言葉を知らなかったので、
Quenching定数Kとかいってたんだよなぁ。