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存在とは。

昨日の神質問

神はいる、と論理的に説明できるかた、お願いします。 感情論、妄信的説明はご遠慮ください。また、おそらくほとんどにこちらから反論の予定ですので、その心づもりでご回答お願いします。ちなみに反論はしていても、それは敵対の意志でも宗教を否定する意図でもありませんので、そこは予めご理解ください。ただ、つきつめたいだけです。それに感情的にならずにおつきあいいただける方のみ、お願いします。

について、書き足らなかったことを書こう。
すなわち存在とは何か。ということである。

Ztonさんのコメントにも関与していることなのだが、

定義するものが存在するのである。
すなわち定義していないものは存在しない。

つまり、知らないところのことは定義しようがないので、存在しないのと同じということである。
その当たりは昨日の記事と一緒。

反例も出ると思う。
例えば、新物質を発見した時だ。この時名前は決めていない。ところが少なくとも
発見されるまでは存在しなかったわけで、発見して名前が決まるまでは、新物質と定義されているのである。

さらに言うと、実際に実在しなくても存在していることにしてもよいのである。
つまり存在することは、実在とは関係がない。
例えば陽電子がそれにあたるだろう。
工学系の人ならトランジスタのホールとか想像したらいいんだろうか。
トランジスタの理論は高校生になったら習うので、中学生までは説明できないが。

つまり定義するものが存在するのである。

これ以上進むと哲学的になるが、
例えば私が鉛筆をもっているとする。相手が私の鉛筆を持っていると認識したとする。
当然、私も相手も私が鉛筆をもっていることを認識しているので、私が持っているものは、
鉛筆だということができる。従って、鉛筆は存在する。

しかし、しかしである。本当に鉛筆は存在するのだろうか。たまたま私と相手だけが、
鉛筆が存在していると認めることができるたが第三者から見てみると本当にそうなのであろうか。

また、私の概念の中での鉛筆と、相手の概念の中の鉛筆は本当に一致しているのだろうか。
たとえ地球上の全てのものが存在すると思い込んでいても本当に存在することを確認するためには、
完全に客観的に鉛筆を認識する力[存在]が必要である。

その力自体は人や動物や植物、あらゆる自然に存在しているとされている対象物は除外しなければならない。
なぜならば、それらの対象物の存在を認めなければならない力[存在]が必要だからである。

そう考えてみると、存在することを証明できる唯一の存在は自分だけではないだろうか。
少なくとも自分は今ここで考えているんだから、自分は存在することだけはわかる。

デカルトみたい。
やめよう。
そういうわけで今日はそろそろ寝ることにしよう。