男女混合名簿問題の再燃

ほんまにどうでもいい話を、意味を付けようとする人間が多すぎる。
教師っていう職業は。

人格を否定するわけではないし、基本的にみんないい人だが、
論理的な思考力がなさ過ぎる。

論理学を勉強していない人間は、

そういう論理で動かない人はエサに寄ってきて捕まる
けものとあまり変わらない、と思ってください

らしいですが。

ああいう答えのないものを議論するのに何の価値があるのかさっぱりわからない。
もしかすると、会議好きな先生が、ああいった職員会議のようなものを利用して、各先生同士のコミュニケーションを図っているのかも知れない。

もし、そうだとしたら、外面上では成功でも、内面的には逆効果だ。

答えのない議論が好きな人間は、数学や情報などの学問に対して、(自分が知りもしないくせに)数学や情報は、人間性がない。とか、人の心は1+1=2じゃないとか、分けの分からん知ったかぶりをしたがる。πを100万桁を求めることは人間性がないらしい。
(言われたことはないが。)その、「1+1の1」ってなんやねん。定義せーよ。とか思います。

しかし、数学や、情報やπを100万桁求めることは、人間以外に誰ができるだろうか。そう考えると、人間唯一の行為だと考えられる。
すなわち、数学や情報の勉強は、最も人間らしい行為だと思うんだけどなぁ。

というわけで、Y口先生や、K頭先生などに、言ってはならん。といわれていた、「男女混合名簿問題どうでもいいし発言」をしてみた。

「男女別だろうが、男女混合だろうが、どっちでもいいんですけど、本当にこんなくだらなくて、つまらないばかげた話をするのが、つまらんです。」って言ってみた。
あと、「さっき、A先生が私は女子で子どもの頃から、なんで男子がいつも前なんって、嫌でした。だから男女混合名簿でもよい」っていう意見に対して、「私、む から始まるんで、いっつも名前の順最後の方で子どもの時、嫌でした。だから、そういった理由で認められるんなら、名前の順番もばらばらで、サイコロ振ってください。」
といってみた。

私が嫌やったからという主観論的な命題は、真にも偽にもなる。ということが何故わからんかね。

上の問題を、もっと簡単にしてみよう。

AとBは、同じ銭湯に来ました。銭湯には、50℃、30℃、10℃の風呂があります。

A:50℃の風呂に入っています。
B:10℃の風呂に入っています。

A:「う”う”う”、あつい・・・」
B:「う”う”う”、つめたい・・」
A:「ぬるい風呂に入ろう」
B:「あったかい風呂に入ろう」

A:「こんにちわ」
B:「どうも」

A風呂に入る。
A:「おっ、ちょっとぬるいなぁ」
B:「あ、ぬるいですか、どれどれ」
B風呂に入る。
B:「あったかいじゃないですか」
A:「いや、ぬるいですよ。」
B:「いや、私はあったかいと思います。」
A:「いや、私はぬるいと思います。」
B:「いや、あなたは私を入れまいと思って嘘をついたね」
A:「なにいってんだよ」

ーーー
という、低次元な話に帰着する。
そんなに問題と思うんなら、子どもに男女混合名簿について、聞いてみたらいいねん。アンケートを取れ。
男女混合名簿賛成ですか、反対ですか、どっちでもいいですか。って。しかも第三者的に、校長が取れ。

それで、子どもには正しい判断ができないとかいう頭の悪い人が出てくるだろうが、子どものためのことを子どもが判断できないというのは、人権無視発言と気づいているのだろうか。成績処理や、ある程度の決まりはこちらが指導する必要があるだろうけど。

まぁ、担任が登場したら、やろうと思ったら、アンケート結果は大きく変えられると思うけど。

例:アンケート「あなたは男子と女子が一緒の名簿になることに 賛成・反対・どっちでもいい」

担任A「やっぱり男子と女子が一緒に仲良くするのと、男子は男子、女子は女子って、変に縛るのとどっちがいい?」
担任B「男子と女子が混合やったら、クラス分けで、1組が男子一人になっても文句いえへんで。」

子どもが一緒でもずいぶん変化が期待できそうだ。